観音様の縁日は毎月「18日」だが、これとは別に室町時代以降「功徳日」と呼ばれる縁日が新たに加えられた。中でも7月10日の功徳日は、その利益が最も多くて「四万六千日」と呼ばれるようになり、10日に一番乗りで参拝したいという民衆心理から、前日の9日より人出があり、7月の9日・10日の両日が、「四万六千日」の縁日と受け止められるようになった。
浅草観音が最も有名だが、かっては本所回向院の一言観音、四谷の汐干観音、神楽坂の襟掛観音、駒込の大観音などが参詣人で賑わったという。
護国寺では開帳法要が7時30分より行われ「雷避け」のお札が授与され境内には露店も出店する。
功徳日
観音の縁日として下記のように功徳日がもうけられたが、中でも7月9日、10日のどちらかの日に参拝すれば、1日だけで46,000日(127年間=四万六千日)日参したと同じ効果があるといわれ、江戸時代から、とくにこの日のお参りが盛んになってきた。4万6千日という数字の由来は不明だが、お米1升が4万6千粒あるとされ、これを人間の一生にかけているとされる。4万6千日を年数になおす126年に近い年数になり、人間が心身に気をつけ、病気や事故にあわなければ、このぐらい長生きでき、一生を無病息災で過ごせるようにと願った数字と伝えられている。
1月1日 | 100日 | 2月晦日 | 90日 | 3月4日 | 100日 |
---|---|---|---|---|---|
4月18日 | 100日 | 5月18日 | 100日 | 6月18日 | 400日 |
7月10日 | 46,000日 | 8月24日 | 4,000日 | 9月20日 | 300日 |
10月19日 | 400日 | 11月7日 | 6,000日 | 12月19日 | 4,000日 |
雷除けのお札
その昔、落雷のあった農家で「赤とうもろこし」を吊るしていた農家だけが無事であった事から、文化年間(1804~1818)以後に、「雷避け」として、赤とうもろこしが売られるようになったが、明治初年に不作が原因で出店ができなかったことから、これに代わる「雷除け」が人々の要望により、四万六千日の縁日に出されるようになった。
「観音経」の中に「雲雷鼓掣電 降雹 大雨 念彼観音力 応時得消散」という一文がある。真心より観音にお願いすれば、雷鳴がとどろき、大雨や雹が降りしきっていても、たちまちに晴天になり、その難を免れることが出来るという意味だ。
「雷除け」は何か事に出会い心が乱れて理性を失う時に観音を身近に感じ、利益を頂き心を安めるためのお札だ。
護国寺
護国寺
徳川綱吉の母、桂昌院の発願によって天和元年(1681)に創建された。開山は亮賢。本尊は如意輪観音。江戸三十三箇所観音霊場の第13番札所である。近代以降は宮家の墓所(豊島岡墓地)が造られた。これは1873年(明治6年)、明治天皇の皇子の死去を機に護国寺境内の東半分が皇族墓地とされたものである。
四万六千日山門前風景
護国寺の四万六千日
昔は7月10日だけが四万六千日だったが一番乗りで功徳にあやかりたいという人が多く、前日の9日も含めて四万六千日の功徳日となり、大勢の参詣客で賑わった。
この縁日の賑わいを当て込んで立ったのが「ほおずき市」なのだが、人気は次第にこの「ほおずき市」に移って行って主役になってしまい、今では年配者でさえ四万六千日という観音様の縁日を知る人も少なくなった。浅草観音の賑わいはいわば「ほおずき市」の賑わいで四万六千日の縁日のこと、雷除けのお札のことを知らない人のほうが多いのだろう。
脇役に主役を奪われた典型的な例が此処、護国寺の四万六千日でお参りする人も少なく、雷除けのお守りを求める信者の姿も見かけない静かなものだ。四万六千日という昔からの行事も年を経るに従い次第に忘れ去られて行くのだろうか。
山門横には東京の夏の風物詩ともいえる「朝顔市」「ほおずき市」の出店も
ほおずき市
大塚の地名
古墳があったらしいが、定かでない。名もそこかららしい。寛永6年(1629)にはこの名があった。
基本情報
日程: 7月9〜10日
アクセス: 地下鉄有楽町線・護国寺駅
場所: 護国寺(文京区大塚5-40-1)
連絡先: 03-3941-0764