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Eichiro Kondo
「東京の祭り」に関するまとまった資料が少なかった為、自分の足で祭りを取材し記事にしました。日本の伝統文化の精粋ともいえる東京の祭りと行事の「ガイドページ」として少しでもお役に立てればと願っています。
代田の地名は伝説の巨人「だいだらぼっち」に由来すると言われるが、この代田地区に昔から伝わる独特の餅搗き行事が保存されている。その搗き方は他地域では見られないもので古来から伝わる餅つき唄で調子を取る「コネドリ」、6人または8人での「カケ搗き」、手を休めることなく搗き手を代える「アゲ搗き」といったものだ。 圧巻は「八人搗き」で、8人の搗き手が臼を取り囲むようにして威勢よく一気に餅を搗く。普段、杵と臼で餅を搗く様子を見ること自体が珍しくなった昨今、この餅搗き行事は貴重な存在だ。 江戸時代天保年間に始まったといわ …
随神門をくぐったすぐ左手に高さ6m余の大きな大黒像が立っている。神田明神一之宮祭神の大己貴命(おおなむちのみこと)別名大国主命の像だ。国土経営、夫婦和合、縁結びの神として崇敬されているが、初詣の賑わいから間もない、成人の日にいたる3日間、だいこく祭が催される。 この日だいこく様に扮した神楽師が成人式を終えた参拝者の頭上に、小槌を振って福を授ける姿が見られ午後3時からはだいこく像の前でだいこく祭が行われる。この期間中だけ一生の福を招くとされる「福笹守り」が授与され神田囃子や将門太鼓の演奏なども披露される。 …
菅原道真公を祀る天神社の縁日は毎月25日で特に正月最初の縁日は初天神と言い、各天神社では様々な行事が営まれる。亀戸天神の鷽替え行事は有名だが、道真公が学問の神、書道の神と崇められることから多くの天神社で筆供養が催される。 筆供養は役目を終えた筆に感謝し、また、筆作りのために毛を提供してくれた動物達の供養を行うとともに書道の上達を願って浄火の中に筆を投じる行事だ。谷保天神では1月25日またはそれに近い日曜日の午前10時に書道の上達と学問の向上を願う勧学祭を社殿で斎行し、その後、筆塚の前に設置したお焚き台に神 …
かって絹は日本の重要な産業で、各地で養蚕が盛んに行われた。今では養蚕を営む農家は殆ど無くなってしまったが、まゆ玉飾りの風習だけは各地に伝承されている。 まゆ玉飾りは、新しい年の初頭、小正月に米の粉で、繭形や丸い形の団子、農作物の形をした団子を作り、柳、樫、梅などの木の枝に挿して、養蚕や農作物の安全、豊作を田畑の神に祈願した農村の伝統行事だ。 平成5年に最後の1軒が養蚕を止めたといわれる羽村だが、その昔は耕地の7割までが桑園で、1戸あたりの産繭量では全国でも10指に数えられて養蚕の村として知られた。 現在、 …
八雲神社は八坂神社、須賀神社、素盞雄神社などと同様に、牛頭天王・スサノオノミコトを祭神とする神社で、社名は日本神話でスサノオノミコトが詠んだ歌「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」の八雲に因むものだ。医学の発達していなかった昔、疫病の発生は最大の恐怖で神仏に祈るほか術が無く、厄病除けの神・牛頭天王の信仰は絶大なものだった。 疫病が発生しやすい6月頃には各地で(牛頭)天王祭が催されることが多く、葛西仲町八雲神社の祭礼も梅雨の最中の7月第1日曜日に行われ、3年毎の本祭り(2010年)には台座3尺の …
神社祭礼の神幸行列に恰も天狗さんのように鼻が長く、高下駄を履いて行列を先導する姿を見かけるが、これが猿田彦命だ。天孫降臨に道案内をした神話から、特に信仰の厚い人が宮司の推挙を得て参籠禊斎し、猿田彦命に扮してこれを勤めるものだ。 この猿田彦命を主催神とする神社が御園神社で、西蒲田7・8丁目、新蒲田1丁目を氏子地域とする。2年に1度の本祭には法務大臣賞を受賞した神社神輿が出御し、御園神社睦会が中心となって奉仕するが、神楽殿では和太鼓が演奏される。また、夜には盆踊りの風景なども見られ、露店も沢山出て賑わう。 会 …
観音様の縁日は毎月「18日」だが、これとは別に室町時代以降「功徳日」と呼ばれる縁日が新たに加えられた。中でも7月10日の功徳日は、その利益が最も多くて「四万六千日」と呼ばれるようになり、10日に一番乗りで参拝したいという民衆心理から、前日の9日より人出があり、7月の9日・10日の両日が、「四万六千日」の縁日と受け止められるようになった。 浅草観音が最も有名だが、かっては本所回向院の一言観音、四谷の汐干観音、神楽坂の襟掛観音、駒込の大観音などが参詣人で賑わったという。 護国寺では開帳法要が7時30分より行わ …
草市はお盆の精霊棚や仏壇に供える飾り物や供え物を売る市で盆市ともいう。人々は盆の直前に立つこの市で、ほうろく、おがら、まこも、すだれ、まこも作りの牛馬、提灯などを求めて先祖霊を家に迎え、江戸東京の季節市として風物詩となっていた。 戦前までは各地の繁華街の街角に立っていたが、時代と共にその殆どが消滅し、僅かに「草市」の名を留めているのは月島西仲通り500mの通り全部に立ち並ぶ「月島草市」だけだ。通りの両側には地元商店街だけでなく町会や各地の物産も集結して、お盆関連商品に代わって飲食物はもとより昔ながらの遊び …
池上は御会式で有名な池上本門寺の門前町で、この駅前の商店街の端に神社がある。本祭は2年に1度で、陰祭に当たる年は、神社神輿が土曜の宵宮だけ渡御し、本祭りでは日曜日に渡御する。 2007年は陰の年で宵宮の午後7時に徳持会館を出発し、駅前商店街を巡幸して午後8時半に宮入した。本祭りの年は金曜日に御霊移し、土曜日が例大祭、日曜日午前8時に本社神輿が宮出しされ氏子町内を練り歩いた上夕方宮入りする。商店街から神社まで提灯が立ち並び、お祭りらしい雰囲気が盛り上がり賑わう。 会員登録しなくてもホテル予約できます♪ 徳持 …
「ねぶた」というと青森を連想するが、ここ東京でも観客10万人を集めるねぶた祭りが立川市羽衣町で毎年行われている。青森出身者の縁で始まったものだが、2016年で第18回を数える夏の人気イベントに発展して来たものだ。 ねぶたの数は大小12基で、人形ねぶたは祭りが終わった青森県黒石市から運んでいるが、扇ねぶたは羽衣町自身で作成したものだ。 「はねと」と呼ばれる踊り手は募集によって集め、お囃子も実際に現地で学び、また現地から本場の人たちも応援に駆けつけて祭りを盛り上げる。こんな経緯で羽衣町は、黒石町に表敬訪問する …
例大祭日は8月8日だが、近年社会の趨勢にしたがい、前後の土・日を大祭日としている。 土曜日には総代他氏子崇敬者参列のもと式典が執行される。日曜日には昭和58年に社殿復興25周年記念事業として氏子崇敬者奉賛のもとに新調された、台座2尺5寸(77)浅草・宮本重義作、黒漆塗り延軒屋根・勾欄造りの神社神輿が、蒲田氏子青年会担当のもと氏子地域9町会を練り歩く。 特に、JR蒲田駅前から神社宮入りまでの合同渡御では年々担ぎ手が多くなり盛んになっている。境内の仮設舞台では舞踊や詩吟など奉納演芸が上演され、多くの露店が並び …
こどもの日に行われる勝矢祭で知られる亀戸香取神社の本祭は4年に1度の夏季オリンピック開催年に行われ、別称「こんにゃく神輿」と呼ばれる珍しい神社神輿が出御する。2008年は本祭にあたり午前6時に宮出しされ午後5時半に宮入りした。 「こんにゃく神輿」は、新大橋通り大島駅を出発し明治通り西大島交差点を経て香取神社までの約2kmを巡幸し、宮入の境内は熱気に包まれ、氏子や多勢の見物客で溢れる。 また、ワールドカップ開催年の陰祭には各町神輿の連合渡御が行われ、午後2時、大島亀出神社を出発し新大橋通り~明治通り~亀戸天 …
勧請されたのが南北朝以前と言われる古い歴史を持つ尾久八幡神社の本祭は4年ごとで8月第1土曜日午後3時から6時まで、昭和5年に作られ大振りの延軒屋根、5段の龍頭の桝組を持つ台座3尺2寸の神社神輿が出御する。 日曜日には午前8時半から神幸行列が出発し神輿は鳳車に乗せられて氏子町内を巡幸し午後6時に還御する。神社神輿は、本祭りの2年後、いわゆる中祭りといわれる年にも出御するが神幸行列は催されない。 人気温泉地BEST20の宿を検索! 宮出し 土曜日2時45分、お祓い、祝詞奏上、玉串奉奠、発御式が終わると今まで鳥 …
小田急・下北沢駅から徒歩約10分のところにある北沢八幡神社は、世田谷北辺の鎮守として古くから住民の信仰を集めているが、その例大祭は「北沢八幡の秋祭り」として世田谷八景にも選ばれている。 9月第1土・日に行われるが、その目玉は日曜日午後1時から2時にかけて大小約20基の町神輿が神社階段を昇って参詣する賑やかな風景だ。神社神輿はあるのだが保存神輿(飾り神輿)で余程大きな記念行事以外は出御しないという。 関東大震災以降、三社祭に代表される神輿の盛んな東京下町から大勢の人々が移住し、中でも移ってきた職人達がこの下 …
ここの神様のお告げで社前に生える萩(ハギ)で作った箸で食事をしたら歯痛が治った、という言い伝えがある荻窪白山神社。 その祭礼は毎年9月7日〜8日に確定していて、7日には神輿渡御、夜は奉納演芸、8日に例大祭神事が行われ、里神楽が奉奏される。この神社祭礼の呼び物は女神輿で7日午後、荻窪駅南口中通り西武信金横の神酒所から出御し、宮出し後、町内を廻っている男神輿と合流して共に氏子町内を廻り夕方神社に還御する。 人気温泉地BEST20の宿を検索! 宮出し 午前8時、神輿御霊入れの儀式が始まる。宮司一拝に始まり、お祓 …
9月7日に近い土・日曜日に行なわれる千束八幡神社の祭礼は、土曜日が宵宮祭(前夜祭)、日曜日には神社神輿が早朝に出御して氏子町内を巡行する。 地元の人が中心で昭和3年頃に行徳の後藤直光によって作られた台輪2尺の宮神輿を担ぐのが最大イベントだ。洗足池の畔には露店屋台が立ち並び、池の水面に灯りが映える。両日とも境内でお神楽が奉納される。 人気温泉地BEST20の宿を検索! 御本社神輿の宮出し 橋を渡り神輿の影が池の水面に映る 昭和17年、宮大工吉野氏による建築だそうだが、洗足池湖畔の緑に囲まれた小高い岡に鎮座す …
納めの不動の12月28日を挟んだ前後3日間、薬研堀(やげんぼり)不動堂周辺に今年最後の大きな歳の市が立つ。 衣類や食料品などを商う露店が殆どだが、もともとは納めの不動の参詣人を当て込んだ正月の飾り物や日用品の市として栄え、一時は羽子板屋も並んでこれを買いに来る芸者衆の姿が人目を引いたという。 江戸後期、浅草観音のほか深川八幡、神田明神、湯島天神などとともに江戸屈指の大市として賑わったが戦後衰退し、1962年に地元町内会の努力でかっての伝統を復活させたものだ。1965年からは東日本橋の問屋街が「出庫市」とい …