9月7日に近い土・日曜日に行なわれる千束八幡神社の祭礼は、土曜日が宵宮祭(前夜祭)、日曜日には神社神輿が早朝に出御して氏子町内を巡行する。
地元の人が中心で昭和3年頃に行徳の後藤直光によって作られた台輪2尺の宮神輿を担ぐのが最大イベントだ。洗足池の畔には露店屋台が立ち並び、池の水面に灯りが映える。両日とも境内でお神楽が奉納される。
御本社神輿の宮出し
橋を渡り神輿の影が池の水面に映る
昭和17年、宮大工吉野氏による建築だそうだが、洗足池湖畔の緑に囲まれた小高い岡に鎮座する社殿は、都内の何処にも見られない雰囲気を持った魅力ある神社だ。
早朝8時、神輿の据えられた拝殿前で御霊入れと発興式が行われ8時15分には宮出しとなったが、集まった担ぎ手たちは地元氏子青年会の人々が中心らしく約5~60人くらいか、他には参詣者も居らず部外者は私一人だけだった。挨拶のなかに「氏子青年会の2年に1度の大切な行事なので・・・」とあったが、若しかしたら宮神輿の出御は毎年ではないのかも知れない。
木立ちから洩れる朝の光を浴びて宮出し・境内を練る
神輿は境内で暫く揉んだ後、階段を降り、鳥居をくぐって橋を渡るのだが、神輿が水面に映る風景はこの祭り独特のものだ。見物人は洗足池周囲を早朝散歩を楽しむ人たちだけが立ち止まって見送るだけだが、橋を渡った神輿は淡々として氏子町内の渡御を続けて行く。
神輿が階段を下りる
千束の地名由来
「千束」については、千束分の稲が貢祖から免ぜられていたところから名付けられたというのが定説。その免祖の理由としては、この地にある大池(現在の洗足池)が水源地として灌漑に利用されていた、あるいは、千人の僧を招いて供養を営む法会”千僧供養”の費用に当てる免田であった、などの説がある。
なお、「千束」の一部の地域が「洗足」と書き換えられるようになったのは、日蓮が池上に向かう途中、ここの大池で足を洗ったという伝説によるもの。池畔にある御松庵の”袈裟掛(けさかけ)の松”の伝説とともに、広く流布し、何時の頃からか「千束の大池」が「洗足池」と呼ばれるようになったといわれる。
千束八幡神社
貞観2年(860)に宇佐八幡の分霊を観請奉斎して、この地の鎮守とした。源氏の氏神として崇敬を集め、源頼朝の旗挙げ八幡とも言われている。創建は古いが社殿は宮大工は吉野直吉氏による昭和17年の建築だ。
平将門の乱のとき、鎮守副将軍として都から派遣された藤原忠方は乱の平定後に、洗足池のほとりに館を建てて土着し、八幡宮を氏神としたが、館は池の上手なので池上氏を名乗った。
基本情報
日程: 9月7日に近い土・日曜日
アクセス: 池上線、洗足池駅
場所: 千束八幡神社(大田区南千束2-23-10)
連絡先: 03-3727-7584